英語名:induced pluripotent stem cells、英略語:iPS cells, iPSCs
独:induzierte pluripotente Stammzelle、仏:cellule souche pluripotente induite
同義語:人工多能性幹細胞
iPS細胞とは?
iPS細胞(人工多能性幹細胞)とは、人工的に作られた分化多能性を持つ幹細胞のこと。ES細胞(胚性幹細胞)と同様に分化多能性*を有しており、半永久的に培養して自己複製することが可能である。2006年8月に京都大学の山中伸弥教授らにより世界で初めて培養系の確立(樹立)が報告されて以来、現在では多くの動物種や細胞種のiPS細胞が樹立されている。
*ここでの分化多能性とは三胚葉からつくられるすべての種類の細胞になれる能力を指す。分化全能性と訳されることもある。
iPS細胞が樹立にいたるまで
背景
生物において、全能性を有する細胞には受精卵が挙げられる。この状態の細胞は、どのような組織になることもできる性質を持っているが、細胞分裂が繰り返されることでそれぞれの細胞は専門化していき(細胞の分化)、この全能性は失われる。つまり一度分化した細胞は元の細胞に戻ることはできず、神経細胞になってしまった細胞は皮膚の細胞になることはできない。
ところがES細胞や卵子には、この体細胞*を分化前の状態へと初期化(リプロラミング)する因子が含まれていることが研究によって知られていた。有名な研究例には、クローン羊のドリーが挙げられる。ドリーは卵子に体細胞核を移植することで生まれたクローン羊である。
また京都大学の多田高博士らはES細胞と体細胞の融合実験から、ES細胞の細胞内の成分が体細胞の核をES細胞の状態へと初期化できることを明らかにした。
**多細胞生物を構成する細胞のなかで生殖細胞以外のものを体細胞という
因子の探索
当時奈良先端技術大学に所属していた山中伸弥博士は、これらの因子を特定すべくES細胞に特徴的に発現する遺伝子に注目した。データベースを利用したスクリーニングによって同定されたES細胞に特異的なこの遺伝子群はECAT(ES cell associated transcript)と命名された。さらに研究を重ねることで、当初約10万個あった遺伝子群の候補から、およそ100個の候補にしぼりこんだ。
iPS細胞の樹立・4因子の同定
山中博士らは次に、100個の遺伝子それぞれのES細胞での役割について調べるため、ノックアウトマウスの手法を用いた実験を試みた。その結果初期化にかかわる100個の遺伝子群は、さらに可能性の高い24個に絞りこまれ、レトロウイルスベクターを用いて24個の候補遺伝子をひとつずつ体細胞であるマウス胎仔線維芽細胞に導入する実験を行うことにした。しかしこの実験では細胞の初期化は見られず、どの遺伝子も単独で初期化を引き起こすことはなかった。
ところが、この24個の遺伝子すべてを同時にレトロウイルスベクターで導入したところ、ES細胞に類似した細胞コロニーが出現した。そこで次に、24遺伝子のなかからいずれか1遺伝子を差し引いた23個の遺伝子を導入する実験を繰り返すことで、本当に初期化に必要な遺伝子を探索した。
こうして最終的に、初期化に必要な因子を4種類の遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)に絞り込み、この4種類の遺伝子の組み合わせを線維芽細胞に与えることで初期化が起き、ES細胞に類似した細胞を作製することに成功した。この細胞はiPS細胞と名付けられ、初期化に必要とされた4種類の遺伝子を「山中4因子(ヤマナカファクター)」と呼ぶようになった。
iPS細胞の研究におけるメリット
iPS細胞より先に研究されていたES細胞。iPS細胞同様に分化多能性を有していたものの、ES細胞の研究にはさまざまな課題や制限があった。とくに大きな課題となったのが、倫理問題と拒絶反応である。ヒトES細胞の樹立にはヒトの受精卵の破壊が必須であり、生命の萌芽を失ってしまうという倫理的観点からさまざまな批判も受けていた。また、ES細胞から作った臓器の移植を受ける患者にとってそれは異なる遺伝子を持った他人の細胞であり、異物として認識されるので免疫拒絶反応の可能性も高い。
一方でiPS細胞では受精卵を破壊する必要ない。さらに移植治療においても、他人の細胞を使わずに、患者自身の細胞から組織や臓器を作りだせば、拒絶反応も起こさずに済む。さらに技術的にも比較的容易であり、現在では医学分野でも生物学分野でも盛んに研究がされている。このように、iPS細胞の報告はその後の研究にも大きな影響を与えたと言える。
医療応用に向けて
安全面
iPS細胞は医療への応用が非常に期待されているが、実用化に向けてはまだ多くの課題が残っている。そのひとつが、がん化のリスクである。たとえば山中4因子のひとつ、c-Mycはがん遺伝子としても知られており、c-Mycを用いたマウスiPS細胞は、高頻度に腫瘍を形成することがわかっている。また分化誘導の際に分化せずに残ってしまった未分化細胞が、移植後には腫瘍形成を引き起こすこともある。
医療への期待
とはいうものの、iPS細胞を用いた移植治療が実現できれば、ドナー探し問題なども解消することができ、今後の活用については非常に期待が大きい。実際の現場ではすでに心筋細胞から作られた心筋シートを心筋症の患者に移植する治験や、ミニ臓器の作製報告なども行われている。
病態モデルとしての活用
移植治療以外にも、iPS細胞は病気の解明や薬の候補を探す研究にも用いられている。ある疾患を持った患者自身の細胞からiPS細胞を作製することで、疾患モデルとしての細胞を構築することができる。この細胞を使って病気の原因を探ることや、薬の候補物質の作用を確認することが可能となる。そのため現在では、パーキンソン病やALS(筋萎縮性側索硬化症)、アルツハイマー病といった難病とされている病気のメカニズムの解明や治療薬候補の検証手法のひとつとして、疾患特異的iPS細胞を用いた研究も進められている。